ADD国立市対談

「ダンスの根源的なことはプロでなくても伝えられる」

砂連尾 理

派遣舞踊家

木村玲奈

リサーチャー/振付アシスタント

―― 全体を振り返って、いかがでしたか。

砂連尾理:企画の最初の段階から、このプロジェクトでは地域に密着することが必要だという話をしていたけど、まさにそれが結実したと感じています。自分自身は、これまでも舞鶴の特別養護老人ホームとの現在に至る10年以上もの関わりや、東日本大震災の被災地で地域社会と関わる経験をしてきましたし、NPO法人DANCE BOXが神戸・新長田を中心にダンスを通して地域と関わっている活動に少し関わらせて頂いたりもしました。今回は自分が国立に移り住んできたばかりということもあって、ワークショップに参加している子供たちや親御さんとはふだんから街中でも会ったりするし、時間が経つにつれてワークショップ以外での関係性も生まれていきました。自分と地域との関わり方が徐々に熟していったというか。ダンスを考えることが、ダンスを生み出す関係や環境、ネットワークなどを考えることにつながりましたね。

木村玲奈:私も地域の人たちと関わるプロジェクトをいくつか経験してきたので、難しさは承知でした。でも国立は砂連尾さんが住んでいるという事実があるから、実際に砂連尾さんがどういう風に人とつながっていくのかをメタに観察して楽しんでたところがあります(笑)。

砂連尾:そのポジショニングが上手いからぼくもリラックスしてやれたかな(笑)。連係プレイで。

木村:国立では、自分たちの仕事を自分で作ろうとしている独自性のある人たちにたくさん出会った気がします。とくに印象深いのは久保田正美さん。35年間、国立という街でどんな風に生きて来たんだろう、久保田さんが暮らしてきた国立ってどんな街なんだろう、という興味がわきました。

砂連尾:色んな方に「地域の先輩」として来ていただいたけど、皆さんアクが強い(笑)。いわゆる「アート」の世界にいる人たちではないんだけど、強烈な個性がある人たちに関わってもらえた。逆にいえば、今までの「アート」はそういう人たちとの関わりを自分たちの文脈から切り離してたというか。久保田さんも人生の話とか、子供にはちょっとワケのわからなそうな話をしたんだけど、理解できなくても、なんかヘンな人がいる、こんな大人もいる、ということにふれる経験が、大きい意味での「文化」を作っていくんじゃないかな。学校では教えない生き方をしている人たちに出会える場をADDで作れたと思う。

木村:街中では、面白そうな人がいても、怪しまれちゃったりしますからね。

砂連尾:芸小ホールでADDを担当してくれた斉藤さんが、そういう場作りを後押ししてくれたのも大きいです。例えば最終成果発表でサックスを演奏してくれた安藤容子さんも、斉藤さんから「ワークショップに参加する子供のお母さんだけど、彼女自身も演奏家ですよ」と教えてもらったんです。あまり経験がなかったらしいですが、楽しんでくれていましたね。こうやって人の輪が広がって、今後も面白いことを国立で色々できたらいいなと。

久保田さんの予測できないアクションに、子供たちが惹きつけられる

――「地域の先輩」にお声がけする時の、砂連尾さんの無茶振りもすごかったです。ラクロスの鈴木先生にダンスのワークショップをお願いしたり、トリニダード・トバゴのモリースさんとかも。

砂連尾:谷保天満宮の獅子舞を見に行ったら、禰宜さんと話しているモリースさんを見かけて、聞いたらトリニダード・トバゴの人だというので、とりあえず会ってみようと。現地にはどんな踊りがあるか聞いたら「ベレ」っていうのがあると。それ教えられますか?って。

木村:すごい(笑)。

砂連尾:そしたら、「いや、そんな自分なんか...」「いやいや、大丈夫だから」なんて言ってたら、彼の同郷の知り合いで踊りが得意なズィアさんと一緒にやってもらえることになったんだよね。

木村:ふだん踊りを教えているわけではない人が、「子供たちに教えてください」って声をかけたことで、ちょっと練習して来てくれるとか、楽しいですよね。表現をしている人も街に色々いるわけだし...。そうやって街の人を「地域の先輩」として見てみる、っていうのは重要だなと。盆踊りの大竹さんも、お仕事を持ちながら、踊りが好きで好きで続けてきたという感じですよね。でも、ダンスの根源的なことはプロじゃなくても伝えることができるのかもしれないと思いました。もちろん子供たちがプロに接して、技術的なことを教わるのもすごく重要なことだと思いますけど、そうじゃなくて、好きで踊ってるとか、もう少し「暮らし」のレベルで、習慣として、その人の体にあるダンス...そういうのを、「習う」というより「一緒に踊る」感覚ですね。そこに街とか人の可能性みたいなものを感じました。

―― 最後の成果発表でも、先生と子供たちが一緒に踊っていましたね。

砂連尾:専門性がない大人の場合、自分が誰かから習ったものをまた誰かに教える時に、教える/教わるっていう関係のヒエラルキーがあまり強くならない、というのはあるかもしれないですね。